久しぶり!テラハ大変だね。

最後にこのブログを更新したのは2016年で、あっという間に3~4年近い年月が流れていた。その間に、大学を卒業し、社会人になり、転職を繰り返しながらも、ギリギリ安定的な1人暮らしをしている。新しい友達や仲間に出会い、自分が数年前に想像していた生活とは全然異なる暮らしを送っている。想像よりも案外生きて行けている。良かった。

2019年の年末、2020年を迎えるにあたり、かなり緊張感があった。直感ではあるけど、世の中全体としてあまりいい1年になる気がしなかった。気休め程度に、多めに初詣したり、お墓参りに行った。そうじゃないと、なんか無理だった。でもこの勘は、結果的に当たっていて、新型コロナウイルスは世界中に蔓延して多くの感染者や死者を出し、東京はオリンピック延期になった。経済も破綻しそう。友達も仕事がない状況になっていたりする。予想以上に最悪。幸運なことに私は感染しておらず、まだ仕事がある。でもこれからどうなるかわからない。とても大きな災害が起こるかもしれないし、クビになるかもしれないし、死ぬかもしれない。私たちはまじでVUCAな世界を生きている。

 

 

自宅にはテレビが無く、Netflixamazon videoやyoutubeを視聴している。そんなに私にも大好きな番組があり、それがテラスハウス(以下テラハと表記します)だ。2012年にフジテレビの番組としてスタート。2017年からはNetflixを中心に配信している。かれこれもう8年も続いていることになる。湘南から始まり、東京・ハワイ・軽井沢、そして現在は再び東京編でシリーズが更新されていた。恋愛や将来の活躍に意欲的な男女6人が生活を送るリアリティ番組だ。(ちなみに、よく「どうせ台本があるんだろ」とか「やらせだろ」とか色々いちゃもんつけてくる人がいますが、そういうしょうもない言いがかりは無視します。やらせでも、やらせでなくても興味深くていい番組なので...。)

大学生のころに社会学やコミュニケーションを学んでいた身としては、テラスハウスは一種の観察/調査みを帯びていて、(編集がかなり効いているとしても)人の人生が切り取られたストーリーはかなり現実味があり、興味深い。定点観察のような、そんな感じ。人が心を揺さぶられる瞬間は、やはり圧倒的な共感でしかなくて、ドキュメンタリーやリアリティ番組はその要素を多く含んでいる。他人の人生でも、あたかも自分も追体験したような感覚・そこから生まれる感情、それは自分が他者を理解しながらも、差異を確認しながら、共存するための手段に思える。とても尊いことだと思っている。

 

そういえば、定点観察といえばこの映画おもろいよね。

youtu.be

 

話がずれた。同世代や、ときには知り合いが出ていたり、そんな自分の等身大のような人々が出演しているのも共感を生んでいる気がする。色んな若者がいるけど、それがいつしか世代感として描かれていたり、海外からすると「日本の若者」や「日本人らしさ」みたいな観点で切り取られている気がしている。フィクションとしてのドラマを観るよりも、よりリアルで、日常の延長線上とも言える。日々生活しているなかで生まれる些細な心の動きがテラハにはある。自分にはない感情、言動、表情をみるのが好きだった。世界的にもテラスハウスは面白いらしいしね。

 

 

そんななかで事件が起きた。

www.bbc.com

出演中の木村花ちゃんが亡くなった。死因ははっきり書かれていないけど、ほぼ確実に自殺っぽい。この日、私は友達とだらだら電話をしながら夜ふかしをしていた。インスタのストーリーをみていたら花ちゃんが「さよなら」とテキストを綴った投稿をしていたので「どういう意味だろう?」と一瞬だけ思った。「でも、まぁ別に...」とすぐ次のストーリーをみていた。朝起きたら花ちゃんが死んでいた。信じられなかった。

※今となっては有名な話だとは思うけど、テラハ観ていない人は「突然なんだ!?」と思う人が多いかもしれないので、気になる人はテラハを観るなりまとめサイトなどで経緯を確認するのをおすすめします。

まず率直な感想としては、「自分も加害者なのでは?」と思ってしまった。SNSの誹謗中傷はせずともテラハを観ているなかで、彼女の言動をみていて「それはないだろ」とかは何度も思っていた。素の彼女をもちろん知らないけど「わがままだな」とかネガティブな感情を抱いた自分がいた。そう思った時点で、自分ははなちゃんに対して負の感情があり、その時点で今回の事件に加担してしまったような気がして罪悪感に駆られた。もうすこし大きくこの話を捉えると、そもそもリアリティショーを観ること自体にも意識を向けることが必要なのかもしれない。人の私生活に近いものを見て、笑い、ときめき、ときには怒り...自分には全く関係ない人の人生をコンテンツとして消費していた自分にすら気持ち悪さを感じる。けど、これは「消費」なのか?確かにお金を払ってテラハを見た事実は変わらないけれども、自分の視聴スタイルが「消費」だとすると、なんだか気に食わない。とても大好きでリスペクトがあった。あぁだこうだ言うときも確かにあるが、その場の自分の時間を潰したり、友達との共通の話題をつくるためのコンテンツではなく、自分もそこに参加しているような(もちろんしてないけど)、そんな感覚だった。

 

・健全な視聴者

”自分の加担していた気になり、罪悪感を覚える”とは書いたけど、誹謗中傷などは一切していないし、そもそも目も向けていなかった。基本的にはメンバーのみんなを応援していたし、ファンだった。小言を言いながらも健全な視聴者だったと自分のことを思っているし、多くの視聴者がそうだったと思う。なのにこんな気持になるのはおかしいと思う。でも誰に不満をぶつければいいかわからないし、どこからが問題でどこまでが問題じゃないのかの線引がとても難しい状態。前提を否定することは簡単だけど、その否定すら正しいかどうかがわからない。Twitterを見ていると、同じような戸惑いの感情を抱いている人も多そうだ。

 

・何が問題だったのか?

はなちゃんを自殺に追い込んだのは誹謗中傷と言われている。これはインターネットの闇/現代社会の闇としか思えないけど、恐らく私が想像している以上に問題なんでしょうね。誹謗中傷や嫌がらせした人は100%悪いと思っているけれど、じゃあどうやって防ぐのかと言われたらとても難しい。なくなりはしないんでしょうね。今回の事件も恐らく、起こるべくして起こったしじゃあどうしよっかって話だとは思う。

海外のリアイリティショーでも自殺のケースはこれまで結構あったっぽい。彼ら/彼女らは向上心があったから参加したはずなのに、命を落とす結果になるなんて本当に心苦しい。 

で、話を戻すと結構問題が複雑な気がしているので、観点を整理できたらいいなと思う。

<観点>

①リアリティショーのあり方

 そもそも人の生活を覗き込みながら、それを消費するあり方について

②企画/制作側の態度

SNSリテラシー/教育的な話

 一定の老若男女が匿名性が担保されるSNSにおいて

 人を傷つけている事実について

④そもそも誹謗中傷が起きてしまう社会背景

⑤誹謗中傷と批判の違いは?傷つくと落ち込むの境界

⑥芸能/芸能事務所のあり方

 インターネットにより、芸能人/有名人が手に届く存在になったが、

 この構造が生み出した産物について

 

まだ観点があったら是非教えて欲しいのでコメントください。(誹謗中傷はやめてください、怖いです)どこまで自分の思考が回るかわからないけれど、自分の考えが及ぶところまでは考えられたらいいな。下記、途中でリンクはっつけなかったけど、この文章を書くにあたってインスピレーションを与えてくださった記事たちです。お時間あったら見てみてね。

 

 


この文章、昨日(5/24)から書いているけれど、日々自分のなかで気持ちが変化しています。いま思っていることは、「声がでかい」「声が小さい」や「気が強い」「気が弱い」に関わらず、みんながリスペクトされるべきだし、みんなが自分のこともみんなのことも大切にできたらいいなって思いますね。。。今回は以上です!長くなってしまったけど、読んでくれた方はありがとうございます。是非お話しましょう~!